- JLogos検索辞書>
- 新屋敷町(近世)とは
「新屋敷町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
新屋敷町(近世) 江戸期~明治8年の町名高遠【たかとお】町のうち月蔵山の西麓,宮下町の諏訪社東方に位置する武家町北は北村町,南は板町元禄2年までの様子を描く鳥居家高遠旧図に「新屋敷への道・足軽組頭・足軽組18軒」と記されている当初の武家屋敷が狭小となり,足軽屋敷が山麓へ新設され,新屋敷の町名が起こったものと推定される幕末には27戸と増えたが,明治維新後は激減した明治14年の東高遠町の調査によれば,生計を求めて転出・寄留した者が10戸・50人に達し,取り壊し家屋も9戸を数える残った士族は養蚕に糧を求めた明治8年東高遠町の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新屋敷町(近世) 江戸期~明治20年の町名柏崎町の1町明治初年柏崎を冠称する場合もある正徳4年手鑑帳では見えず,寛保元年町鑑帳では閻魔町・下新田町とともに庄屋小竹惣三郎の支配下に見える文政4年案内帳には町名が見えず,明治初年には見えている明治20年柏崎町の一部となり,以後,大正4年まで通称町名となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」